カテゴリ:雑記( 38 )   

遊びの達人になる。   

2008年 12月 07日
私たちは、自分の人生ゲームの主人公です。
私たちは思いっきり遊び、今、ここで、その遊びを通じて、多様な体験を得るために生まれてきました。
だから、遊びの達人にならなきゃ、人生、つまんない!

「遊ぶ」とは、「あ」に「沿う」という意味。
「あ」とは、神のことを意味するそうです。
「遊ぶ」とは、「神の思し召しのままに」という意味だったのです。

そう聞くと、生真面目な顔して禁欲的で厳格な毎日を送らなきゃならないような印象を受けるかもしれないけど、そんなことは、ありえません。
神様とは、人間に苦しみを与えることを密かに喜ぶような、そんなエゴイストであるわけが、ないからです。
ただ、ここでいう神様とは、人間ではないけど、なんだかよくわかんないけど、唯一絶対の偉大な存在、という意味ではありません。
人の本質であり、愛そのものであり、自身に内在する善なる光であると、とらえてみてください。
妙~に宗教的な表現しかできないけど、あんまりね、激しく拒絶反応を起こさないでいただければ・・・


「人には、笑顔がとっても大切なの」とは、マザー・テレサの言葉。

神様って、笑って過ごすのが、何よりも大好き!
だから、どんなことがあっても、いつも笑って楽しく過ごすのが、いちばん!
それが、神の思し召しのままに生きるということ。
笑顔とは、内在する光が、より一層の輝きを放っている証拠なのです。
そうして、神の思し召しに則って生きると、人生、やたら楽しくなります。

人の本質である光には、絶大な存在価値があります。
「幸せ」とは、自分には絶大な存在価値があると認識することに始まります。
自身の内面からこんこんと湧き出てくる愛そのものに、すみからすみまで満たされることを「幸せ」と呼びます。
そして、その「幸せ」を人にあげることを「喜び」と呼びます。
その「喜び」をより多くの人に、よりスムーズにあげられる方法を「いきがい」と呼びます。

だから、何よりも大切なことは、自分の絶大な存在価値をいつもいつも、とことん、認識するということなんです。
そうすると、なんでもかんでもスムーズに事が運びます。
人生そのものが、ラクになります。
悩みや苦しみが、消滅します。

たぶんね・・・(汗)
いや、私がそんな境遇を享受してるわけじゃないから、わかんないんだけど、たぶんね、こうなるだろうってことは、容易に想像がつくんです。

自身の絶大な存在価値を認識しきってしまえば、自分の優位性を確立しようとする必要がなくなります。
自分でわかりきっていることは、わざわざ他の人に認めてもらう必要がないからです。
もちろん、自分だけではなく、すべての人に絶大な光が内在しているのです。
誰もが平等で、絶大な存在価値があるのだと認識できるようになるのです。
だから、傲慢になりようがありません。むしろ、本当の謙虚さが生じてきます。
ネガティブな感情がなくなります。
怒る・心配する・恨む・嘆く・文句を言う・無視する・威張る・軽蔑する・卑下する・正当化する・傷つける・焦る・嫉む・拒絶する・否定する・・・・・・
これらのネガティブな感情や言動はすべて、自分の存在価値を確立しようとする働きから生じます。
その必要がなくなるのだから、そんなネガティブな感情に惑わされ、ネガティブな言動をする必要性そのものが、なくなってしまいます。
意地やこだわりや「こうあるべきだ」という思い込みも、消えてなくなります。
物欲、支配欲、名誉欲、顕示欲・・・そんなものに翻弄されなくなります。
「何が正しい」「何が間違い」という判断基準で、自分も他人も物事も社会も裁かなくなります。
怒りは病気につながるから、怒りが消失すれば、病気になりにくくなります。
イヤな人もイヤな状況も消えて無くなります。

怒らなくなるのです。
争わなくなるのです。
それが、平和と呼ばれる状態です。

周囲が喜びに満ち溢れます。笑顔だらけになります。
生きとし生けるものをいたわりあうことが、いきがいになります。

この時、人はとことんパワフルになります。
大抵の人はエネルギーの大半を、自分の存在価値を他人に認めてもらうために浪費しているそうです。
「どうすれば、人に非難されずに生きられるのだろう?」
人は、こうしてマイナスをゼロにする事で、エネルギーを浪費しています。
そのエネルギーをぜーんぶ、プラスに変換することに注ぎ込めるようになるからです。
「どうすれば、もっと人に喜んでもらえるだろう?」
こんな概念が行動規範になります。
やりたいことや、画期的なアイデアが、どんどん、湧き出てきます。
それが「いきがい」なのです。
楽しくてしょうがないから、もう、行動せずにはいられなくなります。

そりゃあもう、ありがたいこと尽くしの人生が、軌道に乗り出します。
それをうまく仕事に活用できるようになると、当然、お金だって集まります。芋づる式です。濡れ手に粟です。
本来、お金とは、「喜び」をやりとりするため使用する通貨だからです。


これが、「神の思し召しのままに」という生き方です。
遊びの達人になるってことは、こんなにスゴイこと尽くしだったのです。
運がいい人、ついてる人というのは、自然と、そんな生き方をしている人のことなんです。
なぜか、側にいるだけで嬉しくなっちゃう人というのは、そんな生き方をしている人のことなんです。

さて、あなたは今、思いっきり、遊んでいますか?
無我夢中になって、目の前の仕事に取り組んでいますか?
今、目の前にいる人に対して、とびっきりの笑顔で接していますか?
あなたは内在するその光で周囲を照らし出すために、存在しているのですから・・・。



って、、、
一生懸命、自分に言い聞かせるために、書いてみました(爆)。
これがね、、、実践に移すってのがね、なかなかね~~~
コツをつかめば、きっと、なーんだ、こんなカンタンなコトだったんだぁ~、あはははは。
とかね、そんな感じのことなんだろうと、思うんだけど。
あはははは・・・
とにかく、苦しむ必要なんて、もう、ないもんねー。
人生、とことん、遊びつくしましょ!

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光そのものであるあなたが、さらに美しくまばゆい光に満たされますように☆

Love,
ドロたん
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by rainy_day_t_12_35 | 2008-12-07 20:54 | 雑記

成長するということ   

2008年 10月 21日
成長とは、自我の殻をそぎ落としていくことだと思う。

最近、ふと、あることに気が付いた。

「違うもん、私は悪くないもん、間違ってないもん」
私には、いつも、こうして他人にも、自分にも、ムキになってそう主張する必要性があった。
なぜなら「間違っている=生きる価値がない」という図式が、潜在意識に出来上がっていたせいだ。
どうしても「私は生きる価値のない人間だ」とは認めたくなかったし、誰からもそうみなされたくなかった。

でも、私は同時に、こんなことも知っていた。

「自分もまた、すべての人と同じく、かけがいのない生命をもった大切な存在なのだ」ということを。

当然です。
あたりまえのことなんだから、いちいち「私は間違っていない!(私にだって、生きる価値があるんだ!)」と、ムキになって主張する必要性なんて、どこにあるんだろう?

そんな矛盾を抱えていたことに気がついた時、ポンッと、自我のトラップから抜け出したらしい。
そしたら、気が付いた。
もう苦しみを味わう必要なんて、なかったことに気がついた。
そして、追い求めていた幸せは、足元にあった。
ただ、これだけのことだった。


子どもがギャーギャー泣きわめくのは、自分の存在価値を認めてもらえないと感じている時だ。
だから、そんな時に子どもを叱りつけてしまうと、子どもはますます泣きじゃくり、心の傷はより深く大きくなってしまう。
そういう時は、ただひたすら、ありったけの愛情を込めて優しく抱きしめてなだめることが、いちばん大切だと思う。

愛を知って、人は初めて成長するのだから。

すべての自我は「自分の存在価値に対する不安」から発生するものらしい。
だから、自己を否定し劣等感に苛まれてしまうと、自我をどんどん発生させてしまうことになる。
そのことに気付いたので、自分の存在価値に対して絶対的な安心感を与えてあげてみたら、自我はいともカンタンに沈静化してしまった。


私は、成長するためには、自分の至らなさを思い知ることが先決だと思っていた。
謙虚であるためには、自分の至らなさを思い知ることが何よりも大切だと思っていた。
もちろん、成長するためには、自我を認識することが大切。
けれど、それ以前に、私は自分の至らなさを思い知ることで、自己嫌悪に陥ってきた。
そして、私は自我を見て見ぬフリをしつづけ、自我の鎧をガチガチに固めてきたのだった。
非難され叱られた子どもが、「私は間違ってないもん」と、ますます強情を張ってしまうように。

おかげで、私は、人一倍、我が強くて傲慢で生意気で、おまけに劣等感に翻弄されてばかりの弱い人間になっていた。
ずっと、自分の存在価値を否定してきた。
自分を傷つけ非難しバカにしては、同様に、他人を傷つけ非難しバカにしてきた。
そんな自分に直面する度に、自己嫌悪に陥り、成長しなければと思い、謙虚になろうと思い、人にやさしくなりたいと思ってきた。
なのに、そうなれない。
そうして自己嫌悪を感じることで、ますます我の強い傲慢な人間になっていった。
自我のトラップにはまりこんでいた。

でも、苦しみ、思い悩む必要なんて、一切なかったことに、ようやく気がついた。

この先、偉そうなことを言います(汗)。
わかったようなフリして偉そうなゴタクを並べますが、ま、聞いてあげようじゃないか、と思われる方は、読んでみてください。


すべての人は、平等に、絶対的な存在価値をたずさえて、祝福されて生まれてきた。

それでも、もし、「そうは言っても・・・、自分がそんなに価値のある人間だとは思えない、実際、ダメな人間だから」と思ってしまうとしたら、こう考えてみてください。
自分の存在価値を否定してしまうクセのある人は、必ず、他人の存在価値も同様に、否定してしまうクセがあります。
「いや、私は他人の存在価値を否定したくはない」と思うなら、まずは、自分をいたわってください。
その逆に、「他人の存在価値はともかく、自分の存在価値は絶対に否定したくない」と思ってしまう人も、内心では自分の存在価値に大きな不安を抱いています。
まずは、自分をいたわってください。

かけがえのない存在である自分を傷つけていませんか?
ダイヤモンドなら傷つけないよう、大事に大事に扱うというのに。
なのに、ダイヤモンドなんて比較にならないほど価値のある自分を、平気で傷つけていませんか?
人に優しくなりたいと思いつつも、優しくなれなかった時、そんな自分をとがめていませんか?
自分は意地悪な人間だ、傲慢な人間だと、自分をとがめていませんか?
でも、自分をとがめればとがめるほど、自我はますます強靭な鎧をつくりあげてしまいます。
叱れば叱るほど、子どもが、頑なに心を閉ざしてしまうように。
人に優しくなれなかった時ほど、どうか、自分に優しくしてあげてください。

もちろん、自分を正当化するために、他人を非難するという意味ではありません。
自分が悪いのでもなく、他人が悪いわけでもないのだから。
この世の中に誰一人として、悪い人はいないのだから。
「でも、現に悪い人がいる」と思ったら、それは、単に価値観の問題です。
連続殺人犯であろうと独裁者であろうとカルト宗教の教祖だろうと、「悪い人」ではないようです。
そもそも、いいことも、悪いことも、ないのだから。
なのに、「何が正しくて何が悪いのか」と、決めつけてしまう判断基準そのものが、他人を裁き、自分を裁きます。
それが、自分を苦しめている根本原因です。
つまり、その判断基準を手放すと、もうこれ以上、苦しみを味わう必要がなくなります。
幸せでありたいと思ったら、ただ、この考えを採択してみてください。

そうすれば、自分をとがめず、人をとがめず、社会をとがめず、世界をとがめずにいられる。
つい、誰かを、何かをとがめてしまったとしても、そんな自分すらも、とがめないで。
何がいいのか、何が悪いのかだなんて考えないで、ただひたすら、穏やかに、自分にやさしく。
まずは、自分にやさしくなること。

そう聞くと、こんな考えが出てくるかもしれません。
「それは、妥協じゃないか。単なる諦めじゃないか。責任放棄じゃないか。社会のルールはどうなるんだ。悪人は裁かれて当然じゃないか。
そんな現実離れしたこと考えていては、ダメなんだ。道徳というものに従って生きるから、人は成長できるのではないか」
でも、そう考えることが、自我のトラップだったことに、気がつきました。


怒ってしまったり、他人を咎める思いに捕らわれたり、ストレスを感じたり、ヘコんでしまったり、自分の不甲斐なさを自覚してしまった時こそ、成長のチャンスです。
そんな時こそ、とにかく、徹底的に、自分にやさしくなる。
感情的になっていたら、ただ、ひたすら、その感情を感じてみる。
その時、自分も他人も咎めないこと。
何が正しくて、何が悪いのかなんて、考えないこと。
そんな価値観にふりまわされないこと。
自己嫌悪、劣等感、罪悪感にふりまわされないこと。
ただ、何も考えずに、「怒ってるわぁ~」「イライラしてるなぁ~」と、感情を感じとる。
原因を考える前に。
そうすると、感情というものは、長くても5分もすれば、消えてなくなってしまう。

そうして、感情が過ぎ去ったことが確認できたら、そのうえで、自我を認識する。
そうすると、
「あの人をとがめてしまったのは、自分の中に、こうあるべきだ、という思いがあるからだ」
「怒ってしまったのは、自分を認めてもらえないと感じたからだ」
こんなことが、見えてきます。
そんな判断基準や、ミニ自我ちゃんを抱えていたことに、気がつきます。
そうしたら、その自我の気持ちをわかってあげる。
責めずに、咎めずに、とことん、やさしく。
「そうだよねぇ、今まで苦しかったんだもの、わかるよ、大変だったよね、つらい思いさせて、ごめんね、ありがとう」
とことん、認める。ゆるす。やさしく、包み込む。感謝する。
そうして自我の存在を認めてあげると、今まで頑なに我を張っていた自我が、ウソのように沈静化してしまう。
泣き疲れた子どもが、いつのまにか、腕の中ですやすやと平和な眠りに落ちていくように。

それらはすべて、自己の存在価値に対する不安から生じた幻想だったことに、気がつくから。
そうして、ひとつ、自我が浄化されることで、人はひとつ、成長する。

そうしたら、それだけで、世の中の苦しみは、どんどん消えてなくなり、
ここには、幸せがあるだけ。


ふと、そんな境地に立ってしまいました。
気付いてみたら、世の中には苦しみなんて存在しなくて、ただ、ひたすら、幸せがあるだけでした。
幸せ、それだけ。
こんなにカンタンなことでした。
念のため言っておきますが、私は無宗教です。ヘンな宗教にハマったわけでもありません。
もちろん、解脱しちゃったわけでもありません。

おかげで、ようやく劣等感に苛まれることなく、自我を直視できるようになりました。
こうして、ようやく成長のための第一歩を踏み出せたことに、気付きました。

そうして、改めて振り返ってみると、自我は無数にあって、叩けば叩くほど、出てくるわ出てくるわ、キリがありません。
じゃ、叩かなきゃいいじゃん。とも思ったけど、どうやら、そういうわけにもいかない様子。
人は生きていく限り、際限なく、自我に対峙させられるものらしい。
ま、自我に気付いたら、ひとつひとつ、解放してあげればいいだけなのだから。
自我をみつけるたびに、笑い飛ばしてあげればいい。
苦しみを覚える必要なんて、まるでない。
それでも、どうしても苦しくなっちゃったら、胸に意識を向けてあげればいい。
そこには、必ず、赤いバラが咲いているのだから。
かけがえのない生命の輝きを放っているのだから。





あとがき。
こんなこと、人に言うべきかどうか迷ったけれど、書いてしまいました。
今の自分のあり方を確認するために。
自分へのアドバイスのために。

何を悟ったようなこと言ってるんだか、と、あきれられることでしょうが、これは、今の私の正しさです。
今の私だけの真実です。
偉そうなこと言ってみたけど、今後、心境に変化はあることでしょう。コロコロと。
そうすれば、その時の真実は変わります。
宇宙は変化するものだから。

そして、人の数の分だけ宇宙があり、人の数の分だけの、真実があります。
人の数の分の、その人のその今の分だけ、真実があります。
真実は、無数にある。
だから、その「真実」を自分や他人を咎めるための判断基準にしないこと。
そうして、すべての真実を否定せずに認めることで、初めて、世の中は、平和になるそうです。
だから、私の真実を押し付けるつもりで書いたわけではありません。
これは今の私の真実ですが、皆様は今の皆様にとっての真実を探求してください。

で、つまり、何が言いたいかというと、
自分に再確認するついでに、
一人でも多くの方に、私がみつけた真実を聞いて欲しくなってしまったのです。
苦しみは、本当になくなってしまうということを。
心のあり方をちょっと動かすだけで、もう、苦しむ必要がなくなることを。

でも、もちろん、こんな文章を書いてしまったのも、自己主張したがりの私の自我がしていることです。
人はみんな、自己主張するために生まれてきたので、これも当然なのですが、、、
とってもハズカしいのです(汗)。
だから、聞いて欲しかったけど、後は、ぜんぶ、笑い飛ばしていただければ幸いです(笑)。

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Love,
ドロたん
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by rainy_day_t_12_35 | 2008-10-21 13:02 | 雑記

厄年   

2007年 10月 12日
e0063317_17103996.jpgあるコラムに、「厄年」というのは、「厄災が降りかかりやすい年」なのではなく、「役年」といって、「自分の役割に気がつく年」なのだ、と書かれていた。
自分の道に気付いていないと、神様などが色々なトラブルを起こしてくれて、「あなたの進む道は、そこではありませんよ」と警告してくれる年なのだそう。
おもしろい話を聞いちゃったなー。でも42歳なら、まだまだ先があるから、のんびりできるもんね。( ̄ー ̄うふ
...ちょっと待てよ?男の人と、女の人って、なんか、厄年って、違った気が、しないでもない。。。
と思い、厄年というものを調べてみたら、、、


一般的に男性と女性の厄年は異なり、本厄は男性の場合は、数え年で25歳、42歳、61歳、女性の場合は19歳、33歳、37歳とされている。特に男性の42歳、女性の33歳は大厄と呼ばれ、凶事や災難に遭う率が非常に高いので十分な警戒を要するとされており、語呂合わせでも男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」に通じる。数えというのは、誕生日前だと +2歳、誕生日を迎えている場合 +1歳を足して計算する。


wikipediaより転記


え...そんなぁ...
私ってば、厄年だった....知らなかった...しかも、散々って...
ん?待てよ?私、18歳だから!!!
...って、え?18歳だとしても...厄年だった...
厄から、逃れられない....il||li(つд-。)il||li
どうしよ....
自分の役割って..........



ま、陽はまた昇るさ!あはははははははは!!!(汗)
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by rainy_day_t_12_35 | 2007-10-12 17:12 | 雑記

秋の味覚   

2007年 10月 01日
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落葉きのこ。父がそこらへんの裏山に入ったら、いっぱい生えてたそうな。
検索したら北海道のきのこといえば落葉きのこ、みたいなページがたくさんあったけど、道外ではメジャーじゃないのかな?シイタのナメコ版って感じのきのこ。柔らかくてペロリと食べられちゃう。
こうゆうのがもう、たまらなく、うまい!ベジタリアンになったせいか、今まで以上においしく感じるようになった。土の香りがいっぱい、はぁ~、自然っておいしー!とはいえ、自分では採りに行かないけどね( ̄ー ̄;
ドロたん特製、大根おろしとニンニクとショウガたっぷり入れて、豆乳を入れてマイルドに味を調えたお味噌汁で、いただきました。冷えた体を温めるにはこれがいちばん。暖かくて優しいお味で、世界中の人におすそわけしたいくらい、おいしかったよ~(涙)。

e0063317_1203012.jpgついでに栗まで手付かずの状態で落ちていたそうな。そこらへんに人類未踏の裏山があるとは・・・。いやはや、立派な栗だった。びっ栗。寒...。
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by rainy_day_t_12_35 | 2007-10-01 12:14 | 雑記

嬉しい切手と微妙な切手   

2007年 04月 10日
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私は切手マニアじゃないけど、仕事で使う切手は記念切手を買うようにしてる。ビジネス文書って味気ないけど、記念切手でもらうと、ちょびっと、うれしくなるから。
e0063317_1617272.jpg運河とか時計台とか、お花とか、ドラえもんとか、写楽とか(笑)。
ホラ、ね?貼る作業だって、楽しくなっちゃうよ~(´∀`*)
そういえば、ずいぶん前にドラえもんの切手が販売された時は、大フィーバーした覚えがある。郵便局の前に特別販売テーブルまで設置して、大売出ししてたくらいだった。あれはシール台紙だったし、便利だった。また作って欲しいなぁ~。




ところで、この前、加入してる簡易保険から税金が還付になったとかで、ほんの少しだけ、お金が戻ってきた。不意にお駄賃をもらった気分~♪
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で、それがこんな切手で返金されてきた。
ってゆーか、1円切手って......。もらっても、あんまりうれしくない切手だった( ̄ー ̄;

それにしても、このおじさん、誰?初めて見たよ?
調べてみたら、前島密という「郵便の父」と呼ばれている人だったらしい。それなのに1円切手にされて挙句に迷惑がられるとは(爆)。不憫だ...( ノω-、)
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by rainy_day_t_12_35 | 2007-04-10 17:05 | 雑記

ナップランド   

2007年 04月 04日
4月、入学式のシーズン。
7歳になる上の姪も、今月からぴかぴかの1年生。ハリキってます( ̄ー ̄
先日、その姪にランドセルを買ったという話を姉に聞いて、ビックリした。
私「えぇっ?ランドセルって?ナップランドじゃないの!?」
姉「ナップランドなんて、小樽だけだよ...」
私「え…(゚Д゚υ) そ、そうだったんだ...知らなかった...」

e0063317_14581719.jpgナップランドとは、こんなモノ。
どうやら、小樽の小学生だけが使用するモノだったらしい。この年になるまで、ぜんぜん知らなかった。北海道の小学生は全員、ナップランドを背負って小学校に行くものだと思っていた。
学校にランドセルを背負った人なんかが転校してくると、「おおお、お金持ちのお坊ちゃんに違いない」などと、羨望の的でランドセルを眺めていたものだ...。何かを勘違いしてたらしい( ̄ー ̄;

その名称は「ナップサック」の「ナップ」と「ランドセル」の「ランド」をとって名づけられたらしい。
聞きようによっては「ナップ=うたたね」ということで、「うたたねパラダイス」的なイメージを思い浮かべそうなものだけど(笑)。でもこれは「うたたねパラダイス」ならぬ小学校に通うために用いるカバン。
小樽は山坂の多い町なので、軽くて丈夫なものを小学生に使ってもらおうと、小樽のカバン屋さんが開発した小樽オリジナルのカバンなのだそう。黄色くて丸い部分には校章を入れる。どこの小学生かわかる人にはすぐにわかって、便利といえば便利かも。

昔は青と赤しかなかったけど、今ではバリエーションも増えてカワイイ!小学校の入学式はどこも今週末なのかな?
4月は小さな子どもたちがこんなナップランドを背負ってウキウキしながら歩く姿が見られるのも、楽しみだな~♪春だなぁ~♬
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by rainy_day_t_12_35 | 2007-04-04 15:29 | 雑記

鏡の法則   

2007年 03月 23日
e0063317_15215240.jpgさっき、こんなお話を読んでしまった。
物事がうまくいかない要因は、実はこんなところにあったのだと、教えられ諭されて、心の奥深くの問題をひもといていった女の人の話。そっか、世の中って、こういう風にできているんだっけ…、という顕著な例。
成功哲学や自己啓発ものに興味がある方は、どうぞ。
読む前に、ハンカチ必携です。特に、家族のこと、子育てのことなど、人間関係に少なからず悩みを抱いてる女の人は、自分に置き換えて感情移入しすぎるので、ご注意あれ。
...ええ、そりゃあもう、私、泣きましたですよ( ノω-、)。。。仕事中だってゆーのに、号泣しました(苦笑)。
この本に載っているこのお話、こちらで読めます。
『鏡の法則』


ま、感動したんだけどね、でも、でも、なんだかとっても啓蒙的すぎるし、洗脳臭いっちゅーか、ま、言ってることもわかるんだけどさぁ、ってゆうか、実際、自分に置き換えて考えた場合、どうよ?そんなこと、できないってば。。ハズカしいし。。。しかもさぁ、そんなに単純に事がうまく運ぶかぁ?ぶつぶつ。。。

と...こうして、何だかんだと、その内容に抵抗・反論しているという時点で、すなわち、そこがまさに、自分が抱えている問題の根源が潜む巣窟だってことに、気付いてしまった。
だって、フタをしておきたい部分だからこそ、理屈をこねて必死で抵抗してるわけだから。。。( ̄∇ ̄;)ははは。。。
つまり、この女の人、まさに私そのものなんだもの(涙)。

...参りました。これ、解決しないと次のステップに進めません。
私も大人にならねば(-ω-、)
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by rainy_day_t_12_35 | 2007-03-23 16:19 | 雑記

二十億光年の孤独と...   

2007年 02月 23日
もう10年ほど前のことだろうか。阿佐ヶ谷を歩いていて、ふと喫茶店でお茶を飲んでいるご夫婦を目にして、ドキっとして動けなくなってしまったことがある。
男の人は、ジョン・マルコヴィッチに似ている人(笑)。女の人は、オノ・ヨーコに似た雰囲気のある人だった。

谷川俊太郎さんと、佐野洋子さんだ。きっと、そうだ。そうに違いない。
「二十億光年の孤独」のひとと、「100万回生きたねこ」のひと。

e0063317_1265956.jpg佐野洋子の『100万回生きたねこ』という有名な絵本をご存知だろうか。
100万回生きかえった末に、ねこは白いねこと出会い、愛し合う。白いねこが死んだ後、ねこは永遠の眠りにつく。

青春時代、ってのは誰しも友達と夜通し人生やら何やらとアツく議論を重ねるもので、、、私も例外なく語り明かしたものだ(笑)。特に上京して4人部屋の学生寮に入った頃は、毎晩のように、学校に行くのも忘れるほど夜通し語り明かした。
私が入っていた学生寮は様々なひとたちが一緒に暮らす、かなり風変わりな学生寮だった。目白の大学に通う世界の違うお嬢様もいれば、ふつ~の顔して東大に通っている人、かと思えば校内でドラッグが横行するようなアーティスト系の専門学校の生徒もいたし、東南アジアあたりからの留学生も多かった。そんな多種多様な人たちが、100人以上も同居している大きな学生寮だった。

私のルームメイトに、声優志望で芸能関係の育成専門学校に通っていた人がいた。
ある時、その人が、この『100万回生きたねこ』を読んで、深く感じたものを芝居に投影する、という授業を受けたのだそう。
そんなこともあって、ルームメイトたちと、この絵本について、よく語り合った。
その結果、私は当時、私なりにこういう結論に達した。
愛を知らなければ、たとえ99万9999回生きたところで、生きたことにならなかったわけであって、愛を知った1度の人生は、その他の何万回もの生に勝るのだ。
つまり、、、私は、まだ生を知らない。このままでは、私ってば、、、あと約100万回も生き返っちゃう(爆)。


そんな結論に至り、ひたすら焦燥感にかられて空回りばかりしていたあの頃から、もうかれこれ、、、何年たつのだろう。
あんなに遠い昔の日々のことなのに、あれから、状況はたいして変わっていない。それもどうかと思うけど(苦笑)、ま、今では、ちょびっと、その価値観も変わってきた。
たとえ得るべきものが得られなかったとしても、それもまた、何ものにも代えがたいほど価値のある人生。それもまた幸せなのだから。すべてに感謝しよう。
そして、時おり、二十億光年の孤独に、私も思わずくしゃみをするわけだ――――――


最近、どうも、人の人生観を目にすることが多い。私もぐるぐる堂々巡りしている。そんな時にこんな懐かしいことを思い出してしまったので、私も語りたくなってしまった。また、あの青春時代のように。
坂口安吾が、永遠に青春まっただなか、ってのは、決してイイものではなく、やたら疲れるものだと言っていた。んだなぁ~、ホント、疲れるんだよな~、こうゆうのって。それなのに私、まだまだ青春中ですから。いつまでも青いんだなぁ。はぁ~。

みなさんは、この絵本を読んで、どう思われましたか?
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by rainy_day_t_12_35 | 2007-02-23 13:42 | 雑記

これが当たり前田の...   

2006年 10月 13日
e0063317_1030672.jpg...クリケットだ(笑

あさひやま動物園に行ったその前の日のこと。
当然、明日は遠足!遠足!うれしいな~♪ルンルン気分。そうと決まったら、駄菓子屋さんにお菓子を買いに行かねば!その点ぬかりない。そこでこんなお菓子をゲット。
レポでうっかり「当たり前田」と書いてしまったのは、こんなお菓子を買っていたせいだ( ̄ー ̄;
って、当たり前田のクラッカーじゃナイけどネ☆だって前田のクラッカーはあんまり好みじゃないけど、クリケットはおいしいだもーん。プチサイズのカルメ焼きみたいな形もカワイイ。お試しあれ☆



e0063317_1124535.jpgその駄菓子屋さんの向かいにある「ヴィレッジ・ヴァンガード」にて、発見。ぜーんぶカピバラ。カピバラだらけ、カピバラ・フェスタ。リモコンの左のボタンを押すとヨチヨチ歩く。右のボタンを押すとキャンキャン鳴く。か、かわゆい......。
ひゃ~、明日はホンモノのカピバラに会えるんだぁ...+゚*。:゚+(*´∀`)+゚:。*゚+.



....遠足より楽しい遠足前日は、こうして日が暮れていったのであった。
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by rainy_day_t_12_35 | 2006-10-13 11:11 | 雑記

今いちばん気になるベース。   

2006年 10月 08日
e0063317_045505.jpg今いちばん気になってるのが、このベース→
IbanezのAGB140

実際に店頭においてあるのを見たことがないので、手にしたことはない。弾きにくいのかもしれないなぁ...初心者はやめといたほうが無難か...。
でも気になるー。ジャズ・ベースやプレシジョン・ベースって、平面的なフォルムがどうもピンとこないので、必要であっても欲しいとは思えず、ふんぎりがつかないかった。けど、これはスバラしく美しいとおもう。もう、文句のつけようがない!
見れば見るほど、うっとり~(*´∀`)゚・*:.。..。.:*・゜゚・*
はぁ~。お値段も新品で4万円台と、なかなかのお手ごろ価格が魅力的。

どうしよう...。とりあえず、もう少し悩んでみよう。。。





☆☆☆突然ですが後日編集コノくりね~に私信(?)コーナー☆☆☆

e0063317_15561764.jpg←次の舞台衣装、ホントは、コレが着たいのね???
キャ━○o*.(*′艸`).*o○━ァ♪



※あんなにもホレこんでいたベースさえ、ブラコノたんのあまりのマブさに霞んでしまったので、、、ベースの写真、小さくしときました(爆
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by rainy_day_t_12_35 | 2006-10-08 01:03 | 雑記