7月28日から、私は
Music Fields In Chigasaki主催「J-POPしりとり」をしていた。
J-POPには自信がないので「洋楽しりとり」ほど夢中になれない気がしていたのだが、翌日に「鈴木慶一」でボーナスをとってしまった。これですっかり気を良くしてしまったため、もうこの「しりとらー生活」から抜け出せない予感でいっぱいだった(笑)。
なのに、この29日を最後に、一気にペースダウンしてしまう。
今回のしりとりから個人の過去ログ一覧を見られるようになったらしく、ここから私の行動が見て取れる。しりとらーになると、こんな利点もあったとは・・・。
早速しりとりの過去ログを調べてみると、30日、31日、1日と3日は1回も入れておらず、2日、4日、5日に2~3回。それからまた空白の時があり、次に入たのは、ようやく12日になってからのことだった。
この時、ドロたんの身に一体、何が起きていたのだろう?
あまり興味はないと思うけれど(笑)、振り返ってみることにしました。
7月29日(金) 月末で忙しい日。夕方すぎから高熱を予感しつつも泳ぐ。
7月30日(土) 高熱にうなされ飲まず食わずでトイレすら行かずに丸一日、爆睡する。
7月31日(日) 起きて熱を測ると39℃。ごはんを食べて、また眠った。
8月 1日(月) 動けなかったので、仕事を休んだ。
8月 2日(火) どうしても出社しなければならず、朦朧としながら仕事をする。ついでにしりとりも4回入れている(笑)。
8月 3日(水) またもや丸一日ダウン。
8月 4日(木) 鎮痛剤を飲むと熱が下がったので、出社する。すかさずしりとりを入れ、しりとり掲示板で高熱で死んでいたと報告している(笑)。この時は治ったツモリだった。鎮痛剤で解熱していたくせに、そんなことはすっかり忘れていた。
8月 5日(金) 鎮痛剤を飲んで出社。この日は忙しい。そのくせ、むりやり1回しりとり入れている。こう見えても、しりとりが気になって仕方がなかったのだ(笑)。この日も無謀に2000m泳いでみる。
こうして、正体不明の熱にうなされた1週間が終わろうとしていた。
ってゆうか、早く病院に行けよ!と思うだろうが、私は小さな頃から疲れるとすぐに熱が出る体質なのだ。だから多少の熱くらいでは病院に行かない。この熱も、いずれ治るだろうとタカをくくっていたのだ。
5日の夜は、やはり泳いだことを後悔した。
高熱にうなされる日々が続いたため、健康状態を示すバロメーターがイカれていたのかもしれない。もう何がなにやら、わけがわからなくなっていたのだろう。
この週末はまた先週末の再来か?地獄を見るのか?と思われたが、実際には違っていた。
この時点で、病状はさらに悪化をみせていたのである。
まず、ノドが痛くなってきた。これはマズい、と思った。ここで、いつもと同じただの熱ではないことにようやく気がつく。
こうしてはいられないと、早く寝ることにした。が、うとうとしてもなぜか30分ごとにトイレに起こされる。膀胱炎の感覚とは違い、残尿感もない。なのに、やたらトイレが近い。
しかも起きるたびに寝汗をびっしょりかいていた。起こされるたびに無理矢理ベッドから這い出て着替えてからトイレに行き、水を飲む。つらい。立ち上がるのがつらいのはもちろんだが、何よりも水を飲むのが苦痛だった。それほどノドがたまらなく痛いのだ。(>_<)←このくらい顔をしかめなければ、水すら飲めない。
トイレに起こされるたびに、これで最後だろう最後だろうと思っていたのだが、5回目くらいにようやく悟る。覚悟を決めてベッドサイドにTシャツを山積みにし、コップとお水を入れた2リットルのペットボトルを用意した。
8月6日(土) 40℃を記録。自己ベスト達成。意識が遠のく。「うたたね&トイレ通い」の一日を過ごす。
8月7日(日) 昼間は眠れるようになったが、夜はやはりトイレに起こされる。
8月8日(月) だいぶ良くなったが、それでも38℃。ノドが痛くて満足に声も出せない。さすがに覚悟を決めて、病院に行く。
診察室に呼ばれ、蚊の鳴くような声で病状を先生に伝えた。
と、先生にアゴの下をグリグリさわられ「これはもう、扁桃腺がガッチガチに腫れてるわ」と笑われてしまう。この先生は昔からお世話になっている女医さんなのだ。
強い薬が使えるかどうか調べるために採血して、それから2時間の点滴コースになった。
私はよく熱を出すけれど、基本的には健康体で、滅多にカゼもひかなければ入院もしたことがない。だから、点滴をするのはこれが初めてだった。
3階の病室に移されて点滴を受けているあいだ、窓から見える空がやたら高くて青くて、どこまでも晴れわたっていた。スコーンと抜けるような青空、というのはこういう空のことを言うんだなぁと、ぼんやり考えていた。
点滴が終わった。なんだか腕が痛い。見ると二の腕がボッコリ腫れあがって目も当てられない状態になっていた。うぅぅ、怖い。もう二度と点滴なんてするもんか・・・などと誓いながら、また診察室に戻った。
もう血液検査の結果が出たようだった。
先生に「今まで肝臓が悪いって言われたことあるの?」と尋ねられた。
肝臓?首をかしげていると、先生はカルテに「肝機能障害(疑)」というハンコを押し、このくらい高い数値だと、もう疑いじゃないのよね、と言いながら「肝機能障害
(疑)」と線を引いた。
肝機能障害、決定。
この日から、毎日のお注射通いが始まったのである。
8月9日(火) ベッドに横になり注射をしてもらっていると、看護士さんに「今までB型C型って言われたことあるの?」と訊かれる。その瞬間、
サーーーーーーーーーーッと、、、
血の気が引く音が、聞こえた。
「肝炎、かもしれないの・・・?」
ウィルス性慢性肝炎。それは性感染する病気のなかで、エイズの次に恐れている病気だった。私のつたない医学知識で知りえる限りの話だから、独断と偏見ではあるけれど。ただ単に、海外ドラマ『ER』でエイズを患っているジェニー・ブレという女の人が肝炎にも感染していた、という設定だったため、何となく怖がっていた病気だったのだ。
そんなわけで、この日は「これからこの先、何があろうと誰を恨むことなく、自分の運命を呪うこともなく、あくまでも前向きに病気と戦っていこう」と誓ったのである。だから、精神状態は、昨日見たあの高く青く透き通った青空のように、雲ひとつなく晴れ渡り、平穏そのものだった。
と、言いたいところだが、この日から出社しているにもかかわらず、12日までしりとりを入れていない。どうやら相当ヘコんでいたらしい(苦笑)。そりゃ、そうだ。私は聖人ではないのだから・・・・・。
8月12日(金) 血液検査の結果が出た。肝炎の可能性は否定された。よ、よかったぁ~(T_T)
が、
「伝染性単核球症」という病気を疑われる。
この病気、潜伏期間4~6週間で発病し、思春期に多く、キスなどにより感染するので別名「キス病」と呼ばれているものだった。
思春期?フフン。あたしも、まだまだ捨てたもんじゃないわね( ̄ー ̄)♪
などと悦に浸っている場合ではなかった。
感染経路がキスって・・・?
ありえない・・・。どうゆうこと・・・?何の冗談?
忘れもしない、発病した7月29日からさかのぼること約6週間前の6月19日・・・。
何やら思い当たるフシが思いっきりあるような気がした。が、あまりにもハズカしい記憶だったので、胸の内に秘めておくことにした。(←思いっきり暴露してるじゃん。)
これが、私が禁酒することとなった経緯の全容である。
幸いにして先日の血液検査の結果でようやく基準値を下回り、病気は完治した。
しかし、こうした一連の事件を真摯に受け止めたおりこうさんの私は、諸悪の根源であるお酒を断ったのです。
つまり、
不特定多数とのキスには充分に注意しましょう。
長い前フリだったけれど、このことを言いたかったのだ。
酔いつぶれた人が道端で寝ていても、勝手に唇を奪ってはなりません。
こうとも言いたい。(ってゆうか、道端で寝るなよ・・・。)
さもなければ
1ヶ月間、お注射通いのハメに陥ります。
最後にこう付け足しておきます。
何があっても私にお酒を飲ませないでください(T_T)/^^^^
おわり。